皆さんが心のなかに描く一般的な人の人生とは、どういったものでしょうか?
大学まで問題なく進学し、企業に就職。
20代後半〜30歳くらいで結婚して家庭を持ち、家を建てる。
新卒で入った企業で定年まで働き、定年を迎え、定年後の生活を楽しむ。
こういったパターンを想像するかと思います。
しかし、こう上手くいかない人生を送る人も大勢います。
今回は僕がレールを外れた人生を送ってどう思ったか、どうやってレールに戻るよう軌道修正したかを書いていこうと思います。
僕の経歴
僕の経歴は以下のようになります。
高校を卒業後自動車整備士になり、5年経験を得た後退職。
その後農業のバイトを少しした後、カナダに語学留学をしました。
帰国後、看護師になるべく3年間看護専門学校に通い、看護師になりました。
看護師になった後4年半が経過したところで看護師を辞め、Webエンジニアになりました。
Webエンジニアになりはしましたが、仕事で自分が成長できる環境になかったことや、仕事に面白みを見いだせず1ヶ月で退職し、看護師に戻りました。
いつレールから外れ始めたか?
僕がレールを外れ始めたのは高校生のときだと思っています。
僕は中学の頃から将来やりたいことがありませんでした。
また、どういった仕事が具体的にあるかなど全く知らないまま、家から近いという理由で地元の工業高校に通うことにしました。
高校に通い始めても将来のことなど何も考えず、今さえ楽しければ良いという思いで生活していました。
特に将来を考えずに就職
将来のことなど何も考えずに高校3年生になりました。
大学進学もできましたが、親からは目的がないのなら、進学はするなと言われていたため、進学は諦め、地元で就職をすることにしました。
しかし、求人票を見てもピンとくるものはありません。
そこで、高校生の時興味を持っていた車関係の仕事をすることにし、自動車整備士として地元で就職しました。
就職してレールから外れたことに気付く
自動車整備士として働き始めたはいいものの、給料は手取り13万程
生きていくだけでいっぱいいっぱいでした。
30代、40代の社員の方の話をきくと、給料も大きく変わらない感じでした。
先輩社員の方々は家族を持ってはいるが、経済的に苦しそうにみえました。
自分も先輩達と同じように働いても、将来経済的に困窮しそうなのは目にみえている。
この時、ボロボロで今にも崩れそうなレールの上にいることに気付きました。
働きつつ将来のことを真剣に考えるようになり、副業で農業をしつつ、お金を貯蓄していくことにしました。
今にもくずれそうなボロボロのレールからあえて外れる
ある程度貯蓄が貯まったところで、会社を辞めることにしました。
明るい未来が見えない以上、この会社に長居すればするほど、自分の未来の選択肢が狭まります。
この時点で23歳。
会社は辞めてみたものの、自分のしたい仕事も特にありません。
会社で自動車整備士としてのスキルは身につきました。
しかし、給料の相場は他の業界と比べて低いこと。
今後電動化が進み、民間の中小規模の自動車整備会社では、経済的に厳しくなることがこの時点でわかっていたため、自動車整備士はもうしないことにしました。
就職していた時から海外での生活に興味があったため、知人の農家でバイトをしつつ、カナダでの語学留学に備えます。
レールを外れてみることでみえてきたこと
カナダのモントリオールに留学中、色々な人と出会いました。
道に迷っていると声をかけてくれた人、初対面なのに植物園の入場チケットをくれた人、よく知らない街のことを教えてくれた人、日本に帰るというとパーティーに誘ってくれて色々とお土産をくれた友達などなど…
他人を思いやって行動する。
それは知らない人でも関係ない。
人に親切にすると気持ちが良いですよね?
他人を思いやること、giveの精神を学びました。
この経験から、誠実な仕事がしたいと思うようになりました。
僕が自動車整備士時代、タイヤやバッテリー販売のノルマなどがありました。
すすめたくない人に特に売りたくないものの販売をさせられ、そういったことに嫌気が差していました。
当時から付き合っていた現在の妻が看護師をしていたこともあり、看護師の仕事に興味を持ちました。
看護師なら人に良いことをして給料をもらえる。
おまけに田舎でも病院はそれなりの大きさになるため、企業規模も大きく福利厚生も良い。
地元に看護専門学校があったため進学し、看護師になりました。
レールに乗れたのにまた脱線してしまう
夫婦で看護師をしていたため、収入も一般家庭より多く、生活は安定していました。
レールに上手く乗っていました。
このまま働いていけば、十分に老後のことも大きな不安はなく生きていける。
しかし、看護師になって4年が経とうとしていた頃、エンジニアになってフリーランスとして独立し、自由に暮らしていくことを夢見るようになりました。
この頃はコロナが流行り、医療の現場が大きく影響を受けたため医療業界が窮屈に感じていたのかもしれません。
僕はプログラミングで食べていこうと、オンラインのプログラミングスクールを受講し、32歳でWebエンジニアに転職することにしました。
しかし、転職先で思ったような仕事ができずに失敗して、またレールから外れてしまいました。
僕のエンジニア転職での失敗談を以下の記事にまとめています。
詳しくは下のリンクより確認してみてください。
再度レールから外れたことで必死に軌道修正を図る
エンジニアを辞めた後、看護師に戻るべく、転職活動をしました。
希望する病院の空きがなく、1ヶ月程待ちましたが、希望の病院に転職ができ、安定した生活を送れています。
レールから外れたことで感じたことは?
色々なレールから外れるパターンがあると思いますが、僕の場合、”レールから外れる”とは仕事を辞め、”無職の期間”を指します。
僕自身がその間に感じたことをまとめてみました。
行き先の見通しが立たないことへの不安が大きい
これはまっさきにイメージがしやすいかと思います。
仕事をしていないと、収入がありません。
次の仕事はどうするか、いつ収入が入るのか?
これからどうやって生活していけばいいのか?
といった経済的な不安や将来に対する不安が大きくなり、焦りも出てきます。
自分は社会の役に立っていないという自己否定感
レールから外れ、無職になると自身の肩書きがなくなります。
僕も看護師資格を持っていても何もしていない間は資格も活かせず、社会的に何も生産していませんでした。
無職になると自然と自由な時間も増えるため、一人で考え込んでしまう時間も多くなります。
人間は考え込むとネガティブな考えに傾く習性があります。
僕も実際に考え込んでしまい、自己否定感ばかり出てきてしまいました。
以前の自分の置かれていた環境を客観視できる
今までネガティブなことばかりかいてきましたが、一方で良いこともありました。
求人情報を見ていると、他の業種や知っている企業の給料、福利厚生や労働条件などを見る機会があります。
そういったことで、以前の自分の仕事が他の仕事に比べて良かったのかが客観視できます。
自分と向き合う時間を作ることができる
一人の時間が増えた分、今までできなかったことをする時間の余裕も生まれてきます。
時間のないときにできなかったことにチャレンジする良い機会です。
こういった自由な時間を作ることで、自分の心を開放でき、自分のやりたいことが少しづつ見えてくるかもしれません。
まとめ
いかがでしたか?
以上が僕の人生でのレールを外れた経験や、レールを外れたことで感じたことになります。
僕はレールを外れましたが、人生はトライアンドエラーの連続です。
はじめから正しい道に進める人もいれば、間違った道に進んでしまう人もいます。
しかし、間違った道に進んでしまっても軌道修正をすればいいのです。
それは年齢差別のある日本社会では、若ければ若いほど有利です。
僕の経験が皆さんの役に立つと幸いです。
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